2009年6月9日火曜日

「蚊を殺すのと人を殺すのは同じ」「シマウマを食べるライオンは自分が悪いと思っているでしょうか」

元になった質問:
「蚊を殺すのと人を殺すのは同じ」「シマウマを食べるライオンは自分が悪いと思っているでしょうか」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426882374

何かありましたらコメント欄からどうぞ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 私は生命の尊重という視点から考えると反論できません。人の命も動物の命も同価値と考えられるからです。
 
 ただ、人が生きていくにおいて快適に生きるために、人に対して「必要なもの」「害を与えるもの」「関与しないもの」の三点で考え、「害を与えるもの」と判断した場合には殺しても構わなく、残りは保護しようと考えてるに過ぎなく、その結果が蚊を殺すのと人を殺すのは違うと考えてしまったのではと。

 まあ、これも自分も含め人は他のどの動物よりも優れていると考えているから致し方ないのかなと。

匿名 さんのコメント...

 人を殺してはいけないと思いながらも、人を殺してしまう場面に行き当たらないという保証はありません。どんな人でも殺人をしてしまうことは、状況が整えば、ありうることなのです。人が人を殺さないでいられるのは、その渦中に放り込まれることが、あまりにもまれなだけであるということに過ぎず、その場面に出くわせば、私とて自信ありません。なぜなら、私が死ぬのが怖いからです。
 太平洋の真ん中で、人一人だけを支えられる丸太が1本あり、そこに2人の人間がいれば、人が生きる権利とは何でしょうか。また生存とは何なのか・・・。そこに生きるという宿命みたいなものの答えがあるように感じます。多かれ少なかれ、生きるということは、「何かの犠牲の上に成り立つものだ」と改めて気づきます。

 昔々、インドでのお話。トラがウサギを捕らえて今まさに、食べようとしていました。そこへ王様の一行が通りかかります。王様は、トラにウサギを許してやるように言いました。するとトラがいいました。「今日このウサギを食べなくては、私は死んでしまいます。私には子があります。」すると王様は、「私にはできないことは無い。私の尻の肉を、切り、秤にかけ、小さなウサギと同じ分量をそなたにやろう・・・」
王さまの肉は切られ、秤にかけられましたが、いつまでたっても、ウサギの重さが重いのです。そしてとうとう、王さまの体が無くなった時、秤は小さなウサギとつりあったのでした・・・。(仏教説話集より)